2023年8月18日金曜日

特権的肉体論について


夜中に酔っ払った頭でひらめいてしまった。


特権的肉体論という概念の意味について。

良い戯曲さえあれば、俳優なんて誰でもいい。真っ直ぐ立てる俳優さえいれば。
という理念のもとに、新劇という方法論はあった。新劇の俳優訓練方法もそうであった。
少なくとも文学座は。体の作り方は徹底的に、癖をを削ぎ落とす。真っ直ぐ立つ。
つまりこんにゃく体操。野口体操である。

(読んでいないのだが)特権的肉体論とは、それに対するアンチとして、本などなくても良い。俳優の強靭な肉体さえあれば、演劇は成立する。
という理念のもとに叫ばれたものなのだと思っていた。
また、それを標榜するオリジナルはもう見ることが叶わない世代として、フォロワー劇団をいくつか見る機会があったが、それに対して私は惹かれるものはなかった。

もしかしたらそれは、俳優か、演出の、拙さがもたらすものだったのかもしれない。
オリジナルを見ていない自分には理解できない概念、として僕の頭の中に存在した。
そしてそれは、永遠の憧れみたいなものでもあった。チョウソンハ君などはそれを体現できるものなのだろうな。などとなんとなく思いながら、彼の舞台はもう20年近く追っていない。

こんなことをカタカタ書いていると、何を思いついたのか忘れてしまいそうなので
とにかくひらめいたことを文字にする。

あれは、人間の魅力のことだ。
あれとは特権的肉体、だ。

簡単に言えば、あの人のことが好きで、好きなあの人が訳のわからないことを、大声で叫んでいたら、それを一生懸命聞く。
それが特権。なのだ。(なのだろう)

お笑い芸人の、笑わせるオーラ。俳優のもつ雰囲気。とか言われるやつに近い。
つまり、見ている方が、勝手に抱いている幻想に基づく。

それは、私が舞台に上がるときに、まずは掴みのひと笑い。掴めたらそれを離さず、掴んだままもうひとわらい。あの人は面白いことをする人である。と思わせて、ストーリーを刷り込んでゆく。もちろん笑わせながら。確実に、コツコツと。小さく。時にドッと笑わせながら、ストーリーを進めてゆき、ここぞというところで、ドカンと笑わせたり、泣かせたり。する。
つまり文脈を持った状態で、お客に対峙できるよう、進めてゆく。
そのことではないのか。

有名お笑い芸人が舞台に出るとき、すでにお客と出演者の間に、何かしらの文脈が成立している。
あのひとは、面白い人である。あの人が何してくれるのか。
観客は期待している。
その状態を持てる、肉体(俳優)を、特権的肉体、というのではないか。
などと酔ってしたためた。

違うかもしれないが、これは私にとって、大きな気付きであった。
とりあえず特権的肉体論を読もう。
意味がわからないらしいが。

意味がわからなくても、あの、唐さんがいうのだ、意味を理解してみよう

という態度がすでに、特権的肉体論の信奉者になっているのではないか。

などと思う。



大抵こういうことは明日には忘れてしまう。
なのでこんなところに書き記す。

2023年2月10日金曜日

 味の素が好きだ。味の素が入っている食べ物が好きだ。嫌いじゃない。じゃなくて好きだと思う。うまい!と感じることは悦楽である。自然食材に含まれるうまみでも、うま味調味料を使用した料理でも、グルタミンナトリウムはグルタミンナトリウムであり、そこに上下はないと思っている。ポテトチップス。あれはうまい。油と塩と炭水化物とグルソーだ。低糖質ダイエット明けに食べると軽くトリップするくらいうまい。それは全く卑しい行為でもないし、罪悪感など感じる必要はないように思う。

なぜうま味調味料は、言葉にするのをはばかられるのか。「このお店は無化調ですか?」何度か聞かれたことがある。「なぜそんなことを聞くのですか?」と言い返せばよかったと今は思うが、その時は言葉に詰まった。それがすでに答えになっていた。「無化調では、ないですね」と答えて微妙な空気になったりもした。無化調じゃないなら帰るというわけでもないなら、なぜ尋ねたのだろう。無化調じゃなさそうに思えたからか?それは光栄なことなのか?よくわからないのである。

2023年2月3日金曜日

書き散らかす場としてのここは、何も考えずにカタカタとキーボードを叩く練習にはもってこいなのである。ああ、カタカタと一心不乱に入力している私を不審に思ってか、妻が後ろをウロウロしている。ああ、気になる。覗かれていたらどうしよう。別にどうもしないのだけど。なぜなら何も内容がないことを書いているからである。いいのである。言葉を発する練習なのである。これをなんの因果か、読んでしまったあなたには申し訳ないが何も、着地点の設定も、構想も、推敲もしていない、ただの垂れ流しなのである。おならとかゲップと一緒なのである。ぶーぶー。

先日事情があり、私が卒業した高校に行って書類をもらってくることがあったのだが、その時感じた、言葉にしにくい、妙な気持ちを言語化してみたいとは思うが今はそんな時間もないのでまた今度。

といいつつ続けてみると、私は高校の時、なかなかにめんどくさい人間だったように思う。今思えば。自意識が肥大し、その割に自己評価は高く、しかし自信もない。まあ、童貞だったからな。童貞は自意識をこじらせがちだ。(当社調べ)

恋に恋して、文化祭のあと、女の子を呼び出して告白してみたり。まあ、キモいので振られて、そんな自分に酔って、更に恋に恋するというキモスパイラルに陥ってみたり。
まあそれなりに青春らしき思い出もあるのだが、やっぱり、部活である柔道の指導者不在による不完全燃焼。なんとなくつるんでいたクラス内グループのうち一人が何故か私のことを(誰にも気が付かれないように)嫌って無視していたことが、わたしの思い出に影を指している要因ではないかと、今は思う。

と、尻切れトンボで今日はここまで。

2023年1月31日火曜日

書き散らかすということも大事なのではないだろうかと思いたち、そういえばブログというものをやっていたなあと言うことでここに書き散らかすことにする。しばらく書き散らかすことでなにか見つかるか。何も見つからないかわからないがとりあえずは今日はここに何かを書き記すことが大切なのだ。そして決意のようなものを込めて書くことが大切なんだろう。文字を書くことが好きなのだ。文を書くことは下手くそなのだがそれでも書いていることが好きなのだ。キーボードをカタカタとやっている時間が好きなのだ。好きなことをやるのが人生においていちばん大切なことなのではないかと思うようになっている。思考を整理せずにカタカタと書いている。酒は飲んでいない。シラフで思考を整理せずただ書き散らかす。そんなもんだ。俺の人生。こんなもんだ。